障害者も高齢者も一緒に楽しくパソコンを!

私とパソボラ (寄稿:代表古川)

私とパソボラ

発症した病気のため障害者になり、1996年に仕事を辞めざるを得なくなった私は、何かで社会とつながっていたいと考えていた時です。A新聞県域版に掲載された記事で、海老名の当事者団体がパソボラを立ち上げたいことを知り、参加するようになりました。相模原市にはまだない時でしたが、やがて相模原にも団体が立ち上がってきました。

1998年頃、相模原市社会福祉協議会の支援を受けた「クリック(仮)」ができ参加するようになりました。車椅子友の会の柴田さんや市社協職員Kさん、両親介護のため退職して自宅にいるため社会とのつながりを切望していた人、IT企業に勤務していたが体調を悪くし在宅勤務に変更した人、派遣でパソコンインストラクターの仕事をしていた人など多彩な人たちが集まって、障害者の自宅へ伺いサポートを始めました。市社協広報誌に掲載してもらい広報に努めましたが、活動は広がらず、当事者へ情報が届かなかったのでしょう、1年足らずで自然消滅しました。1999年1月入院し、3月に退院した時なくなっていたのです。

再就職を目指していた私は、厳しい現実に諦めました。障害者へのIT利活用支援こそが私の使命と思えるようになり、社会との接点はここにこそ築くものと思いました。私自身がワープロそしてパソコンによって上肢のハンディを乗り越え、読める字が書けるようになったからです。近傍の図書館や国立図書館へ行かなくても、インターネットを活用すれば情報を調べることができるようになったからです。ネット接続料金が従量制から精神衛生上とても良い使い放題へ移行する時期で、インターネットの威力に感動しました。

2001年秋、パソコンボランティア養成講座が相模原市で開催され、受講しました。視覚に障害のある人が使う音声ソフトの操作で、とても新鮮な経験でした。海老名の団体で、糖尿病で目が見えなくなり、指の感覚も鈍くなっておられる方のサポートはなかなか厳しく、音声ソフトを使う前段階としてキー操作ができませんでした。

主催したP団体に入会し、実質的な相模原市でのパソボラがスタートしました。前年にできたばかりの団体です。代表の元、勢いのある活動で団体は拡大していきました。

任意団体をNPO法人にするべきか検討を進めてきましたが、意見がまとまらず、2004年夏に代表はP団体を辞めてしまいました。そこでなぜだか私が2代目代表に押されて代行となり、翌年の4月の総会で正式な代表に決定しました。ちょうどこのころ、IT福祉情報技術コーディネート認定試験1級に合格しました。

障害者にこそパソコンを!と確信しました。折しも世の中、高齢化が進み、サポーターも定年退職者、サポートされる人も情報弱者であるという高齢者が急増していきました。それとともに、障害者への支援が十分ではないと感じていました。さらに、相談窓口を担当していた関係から、さまざまなトラブルで団体を辞めた人達から、何とか継続したいのだけどと要望が寄せられ、2006年に別団体「そうそう」を設立しました。2009年12月、P団体を辞め、「そうそう」の活動に専念することになりました。組織拡大が命題ではありません。一人でも多くの方がITを利活用して人生を豊かにしてほしい!との思いです。

思いは今も変わりません。いまさらプチ整形するがごとく体にメスを入れても美人になれるわけでなく、どうあがいても、健常者には戻れません(実際、かなりの回数、手術はしていますが)。障害があるからこそ、これを強みにしない手はありません。できないことはできない!誰かにお願いするか諦めるかの二者択一です。これから先どのくらい生きていけるか不明でも、今日一日を生きています。無理しないでねとよく言われます。人間、誰しも怠け癖があるものです。だから少しの無理と笑顔を忘れずに、頑張りま~す。ご協力宜しくお願いいたします。

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